9年前だった。北カリフォルニアで対面インタヴュー(※青文字をクリックすると該当資料が読めます)させてもらった際、来日の可能性を問うと、ウェイツは応じた。
「いつかわからないけど、コンサートはやりたいと思ってるよ」
この9年の間、トム・ウェイツが音楽を担当したロバート・ウィルソン演出の
オペラ劇『ヴォイツェク』が2003年秋、東京国際フォーラムで初演され、劇の初っ端、猿の人形が発するウェイツの“声”と、全編ウェイツが手がけた“楽曲たち”は来日を果たすも、本人の来日に関しては噂さえ聞こえてこなかった。
そして、きっかけは編集・監修した最新評伝『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』だった。同書488頁から492頁にかけて触れられている2004年11月23日に行われた17年ぶりの
ロンドン公演の文章内容を確認すべく、同公演のブートDVDを入手して観たのだが、コンサート内容の圧巻さに監修どころではなくなった。55歳直前とは思えぬ表現自在の声と身体的パフォーマンスで、刮目に値した。
当時の最新アルバム《リアル・ゴーン》は、ある意味、サウンド的に革新が過ぎ、コアなファンの間でさえ賛否相半ばしたものの、〈ホイスト・ザット・ラグ〉〈メイク・イット・レイン〉などは、ライヴでこそ真価を発揮する楽曲であることを体現してみせていた。そしてなにより、ウェイツのステージは明らかに“ビッグ・タイム”時代のそれよりも進化していた。
『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』を刊行してひと月ほどした6月のことだった。久方ぶりにウェイツがツアーに出ることを、ネットを通じて知る(6月17日〜7月5日、北米ツアー13公演。7月12日〜8月1日、欧州ツアー15公演)。最新評伝『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』の帯に「この“鬼才”を知らないのはもはや罪というものだろう!」と謳った編集者としては、まさに「“ライヴ”を観ていないのはもはや罪というものだろう!」と自らにツッコミ、レコード会社の担当者に連絡を入れた。4年前のロンドン公演が20分でソールドアウトしたことを考えれば、レコード会社を介してさえ、そう容易く入手できるとは思えなかったが。
案の定、北米公演はすべて撃沈し、第一希望のアイルランドも入手不可能とのこと。ウェイツも、妻のキャスリーンもアイリッシュの血を引いており、そしてツアー・ファイナルの地でもあるダブリンで観たいと思ったが叶わなかった。希望は陰ったかに思われたが、ひょっとするとパリ公演なら可能性があるかもしれない、と光が射す。とはいえ、確保の報がきても、チケットは当日会場で引き渡しとなるため、このような場合、何かの手違いでチケットを手にできない危険性もあることを考慮して最終判断してほしいといわれた。逡巡の余地などなく、渡仏の判断を伝え、チケット交渉を継続してもらった。
行くと腹に決め(すべて自腹)、航空券や宿泊先の手配にかかると、折からの原油高騰、燃油サーチャージは往復で6万円だという。出費は、数十万となる見込みだ。しかもコンサート・チケットが保証されたわけでなく、入手できたとしても139ユーロ(24,000円弱)と破格だった。暗雲が立ちこめる。
視界を確保できぬまま。半月後、ようやくチケットが確保できた報を命綱に、公演前日、清水の舞台から飛び降りる気で、いや清水の舞台から飛び立つ気分で、機上の人となった。ケセラセラだ。
初めてのパリで観る初めてのウェイツ、のはずだが……。眼下を流れゆく鰯雲、翼の先に北極を見ながら、パリを思う。自分にとってパリのイメージといえば、ブラッサイの白黒写真。ウェイツのかつての恋人、リッキー・リー・ジョーンズのアルバム《パイレーツ》のジャケットもブラッサイの白黒写真だった。
ヴィジュアルという視点ではジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『巴里の空の下セーヌは流れる』、ヌーヴェル・ヴァーグ映画の先駆的存在であるルイ・マル監督の映像解釈が斬新な『地下鉄のザジ』もまた自分の中のパリだった。前者の有名な主題歌のシャンソンも秀逸で、後者の原作も出色であった。
『地下鉄のザジ』の原作者、レーモン・クノーは言葉の実験者として知られた作家だったが、そんな彼が影響を受けた作家に、ルイ・フェルディナン・セリーヌがいた。パリの俗語や隠語が縦横する長篇小説『夜の果ての旅』は、『地下鉄のザジ』同様、生田耕作訳で馴染んだが、ちょうどトム・ウェイツにのめり込みはじめた二十歳頃、小林秀雄訳のランボオ『地獄の季節』と等しく、幾重にも視線を走らせ、思考を発情させた。
80年代半ば、東販にて返本の洪水を仕分けする日雇いバイトや理工関係の出版社で返本されてきた書籍のカヴァーを巻きなおしたり汚れを紙やすりで削ったりしながら糊口をしのぎ、籍だけ置いた大学の図書館でバタイユやサルトルやカミュといったフランスの思想的作家の作品にも触れて脳に鳥肌を立てつつも、腹と心を空かした自分にとっては、セリーヌこそが本物の“ブランド”だった。
そんなセリーヌが、言葉の魔術師であるトム・ウェイツとも間接的に交差点を有していることを知ったのは90年代に入ってからのことだ。その交差点で言葉をさばいていたのは、チャールズ・ブコウスキーとジャック・ケルアックだった。ふたりはウェイツにとって感化された作家だったが、セリーヌはふたりにとって道標となった作家だった。『オン・ザ・ロード(路上)』を著したケルアックは、『夜の果ての旅』のことを「至上のフランス映画のようだ」と讃えた。ウェイツが、『夜の果ての旅』を“旅”したかどうかは不知だが、ブコウスキーやケルアックの作品を通して、認識の有無を問わずセリーヌに血脈を得ているのは確かだろう。
『夜の果ての旅』は、こんなふうに始まる。
旅に出るのは、たしかに有益だ、旅は想像力を働かせる。
これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。僕の
旅は完全に想像のものだ。それが強みだ。
それは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街も、自然
も一切が想像のものだ。これは小説、つまりはまったくの作
り話だ。辞書にもそう定義している。まちがいない。
それに第一、これはだれにだってできることだ。目を閉じ
さえすればよい。
すると人生の向こう側だ。
成田を飛び立って12時間、目を開けると、シャルル・ド・ゴール空港にいた。無意識に『巴里の空の下セーヌは流れる』の主題歌が頭で鳴りはじめる。日本は今頃、真夜中。サマータイムにて時差は7時間。サングラスで目の前に夜をつくってさえ、想像以上にパリの夏の光は目に強い。数時間のち、21時半を回ってようやく夜が始まり、22時を過ぎて昏れゆき、半月がくっきり夜空に刻印された。
朝がきてライヴ当日、まずは本の森へ。持参したトム・ウェイツ本のパネルとポスターを届けるためだ。パリ行きを決めた半月近く前、国内の窓口である神戸のキクヤ図書販売に問い合わせ、トム・ウェイツのパリ公演に際し、『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』をパリ・ジュンク堂で扱っていただきたい旨を電話営業し、10冊注文をもらっていた。
パリ・ジュンク堂は、オペラ座やルーブル美術館、そしてリッツやウェスティンなど超一流ホテルに程近い場所にあった。入店すると新刊台に『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』が平積みされていた。しかも2本、角を伸ばして。1本は、事前に送っていた『レコード・コレクターズ』掲載のサエキけんぞう氏の書評、もう1本は《ブラック・ライダー》のジャケットよろしく色鉛筆でTOM
WAITSの文字が踊り、ウェイツの似顔絵もあしらわれた手書きPOP。描き手はウェイツ・ファンの店員、秋山あいさんだった。『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』を読んだことが縁となり、2日目のパリ公演のチケットを数日前に入手したのだという。担当した本が人様の役に立ったことは手放しに嬉しかったものの、思わず宙をつかむ気分に。自分の手にチケットは、まだない。
パリのウェイツ・ファンに1冊でも多く渡るようにと持参した拡材(パネルとポスター)をパリ・ジュンク堂社長のリシャルドさんに手渡し、弘前育ちのフランス人である彼と秋山さん両名としばし歓談したのち店を出た(翌日も訪ね、前日不在だった九喜店長にいろいろ尋ね、フランスではCDガイドがあまりないため、日本のCDガイド・ブックは“読めなくても”結構売れることなどを聞く。しかし、2,600円のトム・ウェイツ本が38ユーロとは驚いた。1ユーロ170円前後)。
本の森から、徒歩で絵画の森へ。ルーブル美術館に入ると、印刷物でしか見たことのなかった名画が居並び、定番の『モナリザ』には黒山の人だかりができていた(後日談=約ひと月後の8月19日、『モナリザ』の前はルーブル史上初となる映画発表の場に。知り合いの浦沢直樹さん原作コミックの実写映画版『20世紀少年』の記者会見がルーブル全館貸し切りで催された)。『モナリザ』に限らず、作品はほとんどすべて撮影が許されていた。そして『モナリザ』背後の通路を左に折れ、長年、対面したいと願っていた絵を探す。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』だ。最近だと、英国のメガ・バンド、コールドプレイが最新作《美しき生命》のアルバム・ジャケットに使用し、洋楽ファンのあいだで話題となっていた。『民衆を導く自由の女神』以外のドラクロワ作品も大作ぞろいで、“生と死”を生々しく同居させたその作風は、どこかセリーヌの小説にも通底する印象を覚えた。迷宮を思わせる館内を駆け足で巡り、絵画の森をあとにした。

メトロ7号線から9号線に乗りかえ、ポンヌ・ヌーヴェル駅で下車。地上を求めて歩いていると、懐かしい人に出くわす。その人は、壁にいた。フランスのトム・ウェイツと呼ばれたアルチュール・Hだ。92年の初来日時、渋谷クアトロに友部正人さんと観にいった記憶がある。トム・ウェイツ・ファンでもあった友部さんは、ちょうどその年、ウェイツの〈ジャージー・ガール〉をカヴァーしたCDシングルをリリースした。そういえば91年に担当した友部さんの初の書き下ろしエッセイの題名は『パリの友だち』だったことを思いだし、アルチュール・Hの最新アルバム&ライヴ告知ポスターを写真におさめた。

ウェイツの最新評伝の表紙も“フランス装(三方を折り曲げる特殊加工)”にしたし、やはりパリが必然だったのかもしれないと妙に腑に落ち、地上に出ると強い日差しのなか、目の前に今宵の会場が現れた。
ル・グラン・レックスは、欧州最大のスクリーンを持つ客席2,800の大映画館だったが、コンサート会場としても知られていた。ブライアン・フェリー、スマッシング・パンプキンズといったビッグ・ネームがギグを行い、この2月、ニール・ヤングも“爆音”を響かせたようだ。
腕時計を見やると16時過ぎ、開場まで4時間近くあるが入り口にはすでに列ができていた。フランス語は理解の埒外ゆえ、とりあえず並び、自分の番を待つ。5分ほどで列の先頭となり「ボンジュール」とパスポートを渡し、チケットを求めた。アルファベットごとに区分けされたチケットの束から名前の頭文字Tを、そして苗字の頭文字Jを順に見てもらうがチケットは存在しなかった。嫌な予感がよぎる。
もしもの時に見せるよう、レコード会社の担当者から渡されていたチケット交渉の英文プリントを渡すと、受けとった女性係員が読み走り、どこぞに携帯をかけ話しはじめた。しばらくすると流れるようなフランス語が途切れ、女性係員は会場内に姿を消した。大丈夫だと言いたげな、笑顔を残して。
「ケッセラ、セラ」と節をつけながら幾度となく頭でうたっていると、数分後、姿を見せた彼女の手には携帯電話とは別にチケットが握られていた。どうやら受けとる場所が違ったらしい。ちゃんとチケットは館内のオフィス・ボックスに確保されていた。数語しか知らないフランス語「メルシー」を口にし、女性係員からチケットを受けとる。チケットには、しっかり自分の名がローマ字で記されてあった(後日、ジュンク堂の秋山さんから聞いたところでは、会場入り口に列を作り、身分証明書を提示してチケットを受けとっていたのは一般の購入者で、ダフ屋対策として、当日、入り口にて発券するのだという)
。
いつのまにか『巴里の空の下セーヌは流れる』の主題歌が頭で鳴っていた。空の表情と同じく、晴れ晴れした心持ちで地下に潜り、メトロに乗った。
開場まで3時間半近くあったので、メトロの9号線と11号線を使ってランビュトー駅で下車。ポンピドゥー・センターで、好きなマティスをはじめモディリアーニ、バルテュスの絵画を愛でたのち、ポンヌ・ヌーヴェル駅にとって返し、ル・グラン・レックス近くのカフェで小腹をつくる。カフェの液晶テレビAQUOSが流していたのは、ビーチサッカーフランス代表チームの試合。フランスが得点するとどこからともなく拍手が起こった。サッカー好きのお国柄、確かFIFA主催の第1回ビーチサッカー世界大会で優勝したのは異端児、エリック・カントナを擁したフランスだったはずだ。そういえば、日本も初出場したフランス・ワールドカップから今年で10年。3-1で王者ブラジルを下しフランスが新チャンピオンとなる前夜、担当2冊目のウェイツ本『Mr.トム・ウェイツ』のあとがきを書き終えたことを、閃くように思いだした。会計をすませたテーブルにチップを置き、“ムッシュ”トム・ウェイツに会いにいくことにした。
ル・グラン・レックスに入ると、個別に席に案内された。ここでもチップが必要だった。革張りの椅子、装飾がほどこされた会場の上部側面、オペラ劇場的に高い天井にはプチ・プラネタリウムのように星が煌き、とても雰囲気のする劇場だった。すでに満員の会場を眺めわたす。超満員、立ち見まで出ている。日本人、いやアジア人の姿は見受けられない。黒人もまったくいなかった。7割弱が男性で、初老の夫婦らしきカップルも散見された。ふと、ウェイツ好きのジョニー・デップもどこかにいるかもしれないと思う。彼は、1年の約半分をパリで過ごしているからだ。
そして20時45分、客電が落ち、歓声と喝采に包まれバンドメンたちが定位置につくなか、大歓声が弾け、ソフト帽を被った主役が登場。舞台中央、一段高くなった台座のような丸いセンターステージに上がり、「アーウ、アーウ」という雄叫びを枕に、重低音の曲を転がしはじめた。
オープニングは曲名こそ分からなかったが、のっけからウェイツ・ワールドに思い切り引きずりこまれてゆく。天から落ちる円錐形をなす白ライトを全身に浴び、地獄からの使者の如く“割れ声”で吼えたてる主の佇まいは、どこか日中ルーブルで観たドラクロワの絵が醸していた“生と死”のイメージを明滅させる。『民衆を導く自由の女神』ならぬ“聴衆を導く自由の歌神”といったところか。うたいながら足踏みするたびに足許が煙る。パウダー状の何かが、スモーク効果を上げていた。と、会場のあちらこちらで白光が瞬く。実際は禁止行為なのだが、かなりの数がシャッターを切っていた。これぞフランス流“自由気風”なのかどうかは知る由もなかったが、ウェイツが閃光を嫌って演奏を止めたり、MCで歯牙にかけることもなかった(後日、曲名は、最新3枚組アルバム《オーファンズ》の1枚目、喧騒編に収録されている
〈ルシンダ〉と
〈エイント・ゴーイン・ダウン・トゥ・ザ・ウェル〉だと知るが、単にメドレー形式でうたわれたわけではなく、両曲を混成的に再構築したかのような1曲だった)。
2曲目は、アルバム《レイン・ドッグ》からのタイトル・チューンだ。真後ろではなく、下手側、ウェイツからすると右斜め後ろに位置する息子のケーシーが音数の少ないドラミングで、たおやかなグルーブを作っている。客席に手拍子を促すウェイツ。客席の閃光は終わることを知らない。写真だけではなかった。この夜の映像は複数の観客の手によって動画撮影され、後日You
Tubeで露出することになる。伝達マナーとしてはいただけないことは承知だが、下手なレポートより、下手でも映像のほうが伝わるものも多かろうと、You
Tubeにある楽曲は、動画に譲ることにする。
〈
レイン・ドッグ〉
3曲目は、アルバム《ビッグ・タイム》から
〈
フォーリング・ダウン〉。
4曲目は、アルバム《ブラッド・マネー》から
〈オール・ザ・ワールド・イズ・グリーン〉。間奏の心地よいスパニッシュ・ギターが、ワルツ調の曲に彩りを添えていた。
5曲目は、アルバム《ブラック・ライダー》から
〈アイル・シュート・ザ・ムーン〉。愛する“君”のために、空から月を撃ち落としてあげる、とうたわれるこの曲では、客席に背を向けたウェイツの指が自らの背中で踊り、まるで“君”を抱きしめているかのようなヴィジュアル・イメージを演出し、会場を沸かせた。
6曲目は、アルバム《レイン・ドッグ》から
〈セメンタリー・ポルカ〉。ヤク中のビルじいさんをうたったスタッカート・リズムのポルカだが、途中「ハッ」というウェイツの雄叫びを呼び水に転調するや聴き慣れたシャンソンに。沸き立つ歓声。デ・ジャヴを感じつつ、
〈巴里の空の下セーヌは流れる〉のシャンソンに両肩を小さくスウィングさせさじめた端、急転してビルおじさんのスタッカート・リズムに戻る。ウェイツは短く「ソーリー」と挟み、ポルカを行進させてゆく。が、しばらく進んで、またも「ハッ」と叫んでシャンソンに。ポルカとシャンソンが織りなす遊び心も、巴里ゆえの計らいだろうと胸を弾ませた(後日、北米ツアー最終日である7月5日に行われたアトランタ公演の音源を聴いたが、同様に〈巴里の空の下〜〉は挿入されており、〈巴里の空の下〜〉自体がウェイツのお気に入りの可能性が高く、一層の親近感を抱いた)。
7曲目で、ウェイツは初めてアコースティック・ギターを手にする。そして始めたのはアルバム《フランクス・ワイルド・イヤーズ》から
〈コールド・コールド・グラウンド〉だった。天から降る寒色の青ライトを身にまとったウェイツがうたうのは、厭世観に染まった男の物語。どこか『夜の果ての旅』の主人公とも相通じるキャラクターということもあり、ワルツ風の同曲は、自分にとってもお気に入りだったため、曲内容の“冷たさ”が身に凍みた。
8曲目は、アルバム《ミュール・ヴァリエーションズ》から
〈
アイボール・キッド〉。これはとても映像向けのステージングゆえ、ぜひ動画にて!
9曲目は、アルバム《フランクス・ワイルド・イヤーズ》から
〈ダウン・イン・ザ・ホール〉。身悶えしながらパフォームする、とてもソウルフルなウェイツ版“ジェイムズ・ブラウン”だった。オリジナルで聴かれるギターソロをサックスが担い、しかもダブルサックスの鬼才、ローランド・カークのようにサックスプレイヤーは2本同時に吹いている。
10曲目は、アルバム《ブラック・ライダー》から
〈
ザ・ブライアー・アンド・ローズ〉。
11曲目で、センターステージを降りてピアノへ。ウッドベースとピアノで演奏されたのは、アルバム《オーファンズ》から
〈
ユー・キャン・ネヴァー・ホールド・バック・スプリング〉。
続いて12曲目も、ピアノとウッドベースでアルバム《ブラック・ライダー》から
〈ラッキー・デイ〉。そして曲が終わり、客席からリクエストを求める声が飛ぶと、「私くらいのベテランになるとリクエストには応じられないんだ」と言いつつぶつくさ喋ったあと、いきなりうたいはじめた。歓声が上がる。最初からセットメニューに入っていたはずで瞬時のリクエストに応えたわけではないだろうが、会場の多数が聴きたかったはずの楽曲をピアノを主体に薄いウッドベース伴奏で始めた。
13曲目でうたわれたのは、なんとアルバム《スモール・チェンジ》から
〈トム・トラバーツ・ブルース〉だった。曲前の「私くらいのベテランになるとリクエストには応じられないんだ」というMCがとても粋に感じられ、そして何よりその生演奏に鼻の奥がツーンときた。最新評伝『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』の巻末にも書かせてもらったが、同曲は、18年前、本邦初の評伝『トム・ウェイツ 酔いどれ天使の唄』をやるきっかけとなった楽曲であるとともに、ウェイツ・ファンの枠に囚われず久遠の名曲だったからだ(後日、他の公演のセットリストを見ると、同曲を演っていない日も多かった。ちなみに翌日のパリ公演では演奏された)。
続く14曲目は、ピアノとウッドベースにギターが加わり、アルバム《フランクス・ワイルド・イヤーズ》から
〈夢見る頃はいつも〉。またしても鼻の奥をやられる。自分にとっては、ウェイツ版〈巴里の空の下セーヌは流れる〉ともいえる郷愁に満ちたワルツだった。途中、珍しくウェイツが客席に唱和を求める。会場がうたいだした「when
you dream when you dream you’re innocent when you dream〜」。唱和のヴォリュームは増してゆく。男性の歌声が多いからか、さながら外国のスタジアムで聴かれるサッカーの応援歌ようでもあり、ひとつのハイライトだといえた。自分も含め、目頭を熱くさせながら声をひとつにした観客も少なくなかったろう。“名演”ならぬ“名宴”。大袈裟な言い方をすれば13、14曲目の連なりだけで、月賦までして飛んできた甲斐があった。夢見る頃は、いつも……だ。
15曲目は、アルバム《オーファンズ》から
〈
ライ・トゥ・ミー〉。
次曲に行く前、ウェイツのもうひとりの息子サリヴァンが登場した。93年生まれだから14歳か15歳だ。22歳の兄ケーシーが陣取るドラムス前方、2脚のパーカッションを担当する気配。ということは、あの曲だろう。4年前のロンドン公演のオープニングを飾った時も、サリヴァンがパーカッションを担ったが、その時は兄のケーシーと向かい合わせで、ふたりして絶妙の間合いでパーカッションを叩いていた。そして今回は兄のドラムスを背に、パーカッションの腹と脇を叩いて、単調だが、いや単調だからこそ間合いが要となるビートを、曲全編でキープしてみせた。サリヴァンのパーカッションが映えたその曲、16曲目はアルバム《リアル・ゴーン》から
〈
ホイスト・ザット・ラグ〉だった。
ウェイツがエレキ・ギターを手にし、サックスプレイヤーがアコースティック・ギターに持ち替えた17曲目は、アルバム《オーファンズ》から
〈ボトム・オブ・ザ・ワールド〉。頭上からのグリーン照明に左右からのオレンジ照明が重なり、光が成す立体空間の底で歌い手はがなり立てた。
18曲目は、アルバム《ブラック・ライダー》から
〈ノーヴェンバー〉。前曲の歌世界をさらに暗闇へと引きずり込むかのように、「影も星もない」とうたわれるダークなバラードだった。
19曲目は、アルバム《レイン・ドッグ》から
〈ハング・ダウン・ユア・ヘッド〉。ブルーな照明のなかでうたわれる失恋歌だった。
20曲目は、アルバム《ミュール・ヴァリエーションズ》から
〈ゲット・ビハインド・ザ・ミュール〉。サックスプレイヤーがブルースハープを吹き、真っ赤に染まったウェイツは、16トン・リズムのなかを突きすすんでいった。
サックスプレイヤーの横に再登場した息子サリヴァンがクラリネットを担った21曲目は、アルバム《ボーン・マシーン》から
〈
ダート・イン・ザ・グラウンド〉だった。
22曲目は、アルバム《リアル・ゴーン》から
〈
メイク・イット・レイン〉。今ツアーのポスター等からも窺い知れたが、ヴィジュアル・イメージ的にはテーマ曲ともいえるもので、曲中、降りそそぐ銀の雨を浴びたウェイツは、どんどんテンションを上げながら「メイク・イット・レイン」と連呼するようにうたい、渾身の頭上手拍子で本編を締めくくった。どこか自虐的な主人公が繰りかえす「雨よ降りそそげ!」は、2曲目の〈レイン・ドッグ〉と呼応して聴こえたし、この執拗なまでのリフレインに絵画的な“重ね塗り”を想起もした。だがウェイツは、ちゃんと筆の置き時は心得ていた。2時間弱、ステージというキャンバスに我流の“絵”を描いてみせ、他者には到底真似のできぬ逸品とした。
腕時計の長短針は、22時40分を示していた。
満足とさらなる期待、総立ちになった観客の歓声と喝采が嵐のごとく会場に吹きあれている。日本のライヴ会場とはボルテージがまるで違っていた。嵐のなか、バンドメンとともにウェイツがステージに還ってきた。
ウェイツが手にしたものを観て、会場が沸き立つ。本編中、センターステージ上に置かれてあるのが目に入っていただけに、いつ使われるのか心待ちにしていた物だ。度重なるウェイツの足踏みによって撒きあがった白いパウダーを前方に付着させた赤い拡声器を片手にうたいだす。23曲目は、アルバム《ミュール・ヴァリエーションズ》から
〈チョコレート・ジーザス〉だった。
引き続き拡声器に声をくぐらせた24曲目は、アルバム《リアル・ゴーン》から
〈トランプルド・ローズ〉。
そして25曲目は、アルバム《ミュール・ヴァリエーションズ》から
〈カム・オン・アップ・トゥ・ザ・ハウス〉であった。赤と黄の照明がまざりオレンジ色になったウェイツが、「うちにおいでよ」というサビの歌詞を力強く繰りかえしたが、ステージでうたわれる“うち”とは、ウェイツの歌世界、あるいはふたりの息子たちと一緒に創出した舞台世界、そうしたウェイツ独自の“お家芸”へのお誘いのようにも聴こえた。
うたい終えたウェイツはセンターステージを降り、ステージ前方に歩みでると前列の観客の頭上に両腕を伸ばし、掌をひらひら振って感謝を伝えていた。そして帽子をとって会場に大きくお辞儀をひとつ。上手に向かってお茶目なステップで消えゆくウェイツのジャケットの背中は汗で黒くなっていた。
同曲で幕となったが、歓声と喝采が鳴りやまぬなか、曲毎に一礼したウェイツの芸人マナーと、大ラスの“家”というイメージもあり、ウェイツ一家は旅芸人のようだと感じた。そして最新評伝『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』に収められたウェイツのコメントを思いだした。
「もし子供が親と同じ道に進んだら、まあ共演ってことになるかな。息子にはこう言ってある『おまえが宇宙飛行士になりたいと言いだしたら、おれにはしてやれることはなにもない』」
まだ小さかった子供たちの将来について語ったものだが、ミュージシャンとなった息子を、しかもふたりの息子を引き連れ、諸外国の舞台を熱狂させてまわれる58歳は、世界広しといえどもトム・ウェイツくらいのものだろう。確実に、ウェイツのアーティスト遺伝子は息子たちに継承されていた。

まだ熱演や熱狂が耳に残響として木霊していたが、黒人の係員に促され退場する。ロビーではツアー・グッズが売られていた。ポスターと小冊子を買い求める。小冊子は、ヨーロッパ・ツアー用に5000部だけ刷られたもののようで、全編ウェイツのインタヴューだった。
23時、会場を出ると、すでに遅い夕暮れは終わり、夜空にはくっきり半月があった。今宵、しばらく夜は終わりそうにない。更けゆく夜を歩きながら、老けこまないウェイツのライヴ・パフォーマーぶりがとても嬉しかった。ネットなどで近影を一見し、かなり老けこんだ印象を持っていたが、その考えは驚くほどに裏切られた。これまで和洋問わずあまた観てきたライヴにおいて、3本の指に入るであろうことを確信した。数十万の出費にお釣りがきた気分だ。
パリ公演は、セリーヌの『夜の果ての旅』がそうだったように、自分にとって人生の一部となっていく予感がある。渡仏前、チケットの行方こそ見えなかったが、人生、先行きの見えない旅路だからこそ、おおいに想像力を駆りたてられたりするものだ。まさに“セ・ラ・ヴィ”。だから「ワルツィング・マチルダ、ワルツィング・マチルダ……」。巴里の空の下、〈
トム・トラバーツ・ブルース〉は流れる。久遠の名曲を、ふたたび。
映像やCDのウェイツも当然の如くに素晴らしい。それ以上に、生で体感したウェイツ・ワールドは想像の域を超えるほどの素晴らしさであった。それは美術書ではなく、ルーブルで観た本物のダ・ヴィンチやドラクロワの絵と同様に。
トム・ウェイツは、まさに“本物”だった。
----------後日談
一説によると、今回のパリ公演の合間、ウェイツはルーブル美術館とパリに点在するカタンコンブ(地下墓地)を観てまわったらしい。